- 1 名前:動物園φ ★@\(^o^)/:2016/12/03(土) 21:22:21.31 ID:CAP_USER.net
韓国・ソウルの150万人デモに足を運び「黄色いリボン」から学んだこと
投稿日: 2016年12月02日 17時16分 JST 更新: 2016年12月02日 17時16分 JST
?韓国のデモに足を運んで
地鳴りのように響く朴槿恵政権反対の声が目の前に広がる。
抗議する人々は寒さでかじかむ手でろうそくをそっと持つ。100万人以上が光化門周辺に集まることで
街中は優しい橙色に染まっているように見える。民衆の力を肌で感じた。
昼間から続いた抗議集会が夜1時ごろに終えると人々で埋め尽くされた光化門広場には終電を
逃した人々がぽつりぽつりと暖を取るように身を寄せ合い腰を降ろし、寒い夜を過ごす。
静まり返り普段の姿に戻った抗議の中心地に、明るい場所がある。セウォル号犠牲者追悼テントだ。
小さな集会が行われ、朴槿恵大統領退陣を要求するスピーチをしている。抗議用のプラカードが
配られるブースがあったり、串焼きを売っている屋台もある。ストーブで手を温める人の姿もある。
その中に、セウォル号事故追悼のために韓国全土に運動として広がった「黄色いリボン」の
シールやキーホルダーを配布するブースがあった。このテントに足を運ぶ人は皆ここでもらい
愛用するスマートフォンや手帳につける。僕も報道写真に取り組み始めたときから愛用し
続けているカメラにキーホルダーをつけ、iphone6の背面にシールを貼ってもらった。
日本から来たことを伝えると言葉が帰ってきた。「ありがとう。共に犠牲者の追悼を」。
?抗議の声と犠牲者への追悼
中略
?私たちのことでもある
中略
このことは韓国のことだけなのだろうか、セウォル号事故のことだけなのだろうか...。
現地で声を聞き、抗議の様子を見て、セウォル号犠牲者追悼テントを見て突きつけられる
ような思いがあった。日本では2011年3月11日に発生した東日本大震災によって多くの命が
津波によって奪われた。東京電力福島第一原発の爆発事故が怒り、語り継がれてきた
「原発安全神話」も崩壊した。高濃度放射線物質が広がったことによって故郷に帰ることを
許されない人々がいる。「生活はどうなるのか」、「これからの社会はどうなるのか」、
「あの日何かが終わったような気がした」というような声もある。
http://www.huffingtonpost.jp/shinta-yabe/soul_korea_b_13349388.html
- 2 名前:動物園φ ★@\(^o^)/:2016/12/03(土) 21:22:38.62 ID:CAP_USER.net
>>1
政府は本当に復興のためにお金をまわし、そして原発事故を検証し、安全な社会を築ことう
しているのだろうかといまだに不安に感じる。ジリジリと暑さを感じる今夏、8月21日未明に
震災から5年の間、脱原発運動の象徴的場所であった霞が関の脱原発テントが強制的に撤去
された。これまで人々が幾度となく立ち入り多くの抗議参加者は日陰でお茶を飲んだりしながら腰を休めた。
脱原発テントは性質上、韓国のセウォル号犠牲者追悼テントのような3.11の震災の犠牲者の
追悼のためのテントではないものの、政治に声を上げることが長い間無かったと言われていた
日本で、3.11以降に大規模な脱原発運動が全国に展開されたことを証明する場所であった。
「テント」という共通の場所を考えることで、韓国の文脈のそれとは違い同質化する話では
ないと思いつつも、あの震災のあと多くの市民がこの社会はどうなるのかという不安に
向き合い路上に足を運び声を上げ国に異を唱えていく今の日本の市民社会の姿にも重ねた。
朴槿恵の退陣を要求し路上に足を運び声をあげ続ける韓国の若者の思いの根元は、セウォル号
事故のことなのかもしれないと思う。1987年の韓国民主化闘争で民主主義を勝ち得た記憶も
あるかもしれないが、実際に話しを聞くとセウォル号の話を語る若者が多かったからだ。
国家に、権力に対して、声をあげるということは私たち生活者、国民...人間そのものの尊厳を
守るためだと感じた。朴槿恵大統領に反対する約200万人にのぼる人々が路上に立ち声をあげる。
「いま降ろさなければ僕たちの生活が脅かされる」と現地で会った大学生は語る。
- 4 名前:動物園φ ★@\(^o^)/:2016/12/03(土) 21:22:50.61 ID:CAP_USER.net
>>2
日本ではデモをしても意味がないとまだまだ言う人は多く感じる。「デモより対話」
「反対ではなく対案」と聞くばかりだ。韓国の高校生や大学生は「デモも対話」と語る。
もちろん朴槿恵大統領の支持率がぜん対で4%、19歳?29歳で0%と圧倒的に反朴槿恵という
意見がマジョリティであることで日本とは状況を同じとは言えないだろう。しかし、彼らが
語るのに共通するのは「路上に足を運び続け、声をあげ、実践していく」ことだった。
「デモをやっても意味がない」と囁かれる日本とは民主主義の捉え方が違うように感じた。
日本の市民社会がこのように考えることにはまだまだ時間がかかるかもしれない。2015年の
夏に国会前で安保関連法案に対して学生団体「SEALDs」が中心に声をあげ、2013年の反原発
運動以来久々に、全国に運動は広がった。哲学者の柄谷行人氏が「デモをすることでデモが
できる社会になった」と語るように、いまの日本では「デモがあたりまえな風景」になり
つつある。韓国のように、議会民主主義だけでなく「実践し行動し民主主義を勝ち得ていく」
というような直接民主主義、この二つの側面で民主主義のあり方をあたりまえに語れるような
社会になるには絶えず声を上げ続けていくしかないのだろう。
国会前で「民主主義ってなんだ!」とコールをしていた学生が発していた「孤独に思考し
判断し行動しろ」という言葉が示す先にある社会のことなのかもしれないと痛感する。
以下略
引用元:http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1480767741
【話題】元SEALDs幹部「日本社会が民主主義の根付いた韓国社会のようになるにはまだまだ時間がかかる」
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