http://file.dailian.co.kr/news/201404/news_1397693767_433299_m_1.gif

▲16日午前、修学旅行中に旅客船沈没事故にあった京畿道安山檀園高校で学生父兄らが学校
側が確認した救助名簿を調べている.(c)聯合ニュース

修学旅行は思い出のアイテムによく使われるが、本質的に非常に危険な旅行で災難になったこと
もある。今回もそうだ。修学旅行が精神文化次元でも望ましい上、運営上も問題があることを思え
ば反教育的な側面が多いにもかかわらず今も残っているのはおかしい。
(中略:修学旅行はヨーロッパや朝鮮起源ではない)

今、私たちが知っている修学旅行は日本近代化の産物だ。日本は明治維新後の1907年、修学旅
行を作り出した。例えば、1910年から朝鮮と満州を往復する13泊14日の修学旅行があった。し
かし、決して近代化の望ましい要因を含んではいなかった。修学旅行を通じて日本は学生に家族
体教育をする。大規模旅行の過程で学生たちは統制の対象であり、その中で集団的な野外旅行
の組織的行動を習得することになる。

また、朝鮮の学生たちを日本に修学旅行に送って朝鮮半島を自虐し列島を敬わせた。このため
1920年代、拒否同盟運動が起きた。とにかく、この様な修学旅行をまねた旅行プログラムはその
後、日帝植民期を経て韓半島では一つの旅行文化の位置を占めることになる。韓国では余暇文
化生活が少なく、学生時代に安く行ける旅行に意味があった。そのため思い出の常連アイテムに
なった。だが、今は家族旅行文化が発達し、学生たちはそれなりのところはすでに行っている。

また、集団主義文化より個人の自由主義文化が望ましいので好まれなくなった。何より修学旅行
が危険な理由はリスクヘッジ(hedging)ができないからだ。大人数が動くので常に事故の危険があ
り、その事故で大型人命被害が憂慮される。観光バス何台にも乗って一度に大規模移動すること
もそうだが、汽車や飛行機そして船舶もかなり危険だ。

従って集団移動が必要な修学旅行は安全保護の立場から非常に脆弱だ。分散方式の旅行運営
が必要だったが、日帝時から形成されたこの様な弊害を払えずにいる。各人の進路に結びついた
体験学習を施行している学校もあるが、大部分は日帝時代から続く集団主義旅行制度をそのま
ま受け継いできた。

この様な旅行プログラムは常に利権を産んだが学校は行政的な便宜のため変らず実施してきた。
その中で学生たちの安全と生命は簡単に危険と死に露出する。しかも安価な旅行だから学生た
ちは良い待遇を受けられない。さらに大人数が移動するから一人一人の人格権が保障されない
場合が多い。もし家族単位の旅行ならこのような待遇は受けないだろう。父兄の立場でも学校行
事に反対するのは容易ではない。これまで多くの問題が提起されても、学校は特別な措置をとら
なかった。

今回の事故は典型的な事例ながら最悪の事態であった。すでに修学旅行はその起源が望ましく
ないのみならず脆弱な安全性、教育効果も疑問がある。(中略:集団行動自体が疑問)
一国のアイデンティティだけでなく自由民主主義教育現場に合うように修学旅行自体が廃止され
るべきで個人的個別的な新概念の教育旅行が必要だ。そのような意味でご先祖が遂行した上流
層子弟らの旅行体験プログラムや18-19世紀'ヨーロッパ大陸巡回旅行‘(Grand Tour)プログラム
を考慮することが必要だ。

文/キム・ホンシク文化評論家

ソース:デイリアン(韓国語) 日帝の残滓修学旅行はなぜ生きているか
http://www.dailian.co.kr/news/view/433299


ヒラリー・クリントンの嫌いな韓国・中国
ヒラリー・クリントンの嫌いな韓国・中国