- 1 名前:蚯蚓φ ★@\(^o^)/:2016/03/01(火) 14:56:35.90 ID:CAP_USER.net
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97年前の今日、韓民族が日帝の不当な植民統治に抵抗して独立宣言書を発表し韓国の独立意
志を世界万国に知らせた日だ。1919年3月1日午後2時、ソン・ビョンヒ先生をはじめとする民族
代表33人は仁寺洞(インサドン)の泰和館に集まって決意に充ちた声で独立宣言式を挙行し独立
万歳を三唱した。日帝侵略に抵抗して奪われた国の自主権を取り戻そうとする熱望の叫びは太極
旗の波と共に全国津々浦々に鳴り響いていった。
その年の4月1日、天安(チョナン)アウネ市場で人々に太極旗を配っていた柳寛順(ユ・グァンス
ン)烈士は独立万歳運動を主導した容疑で17才の若さで日本憲兵に逮捕され、西大門(ソデムン)
刑務所に収監された。柳烈士は獄中で強行された日帝のあらゆる脅迫と拷問でも国のために命を
捧げる固い覚悟を折らなず大韓独立万歳を号泣しながら叫んだ。
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<西大門刑務所収監当時の柳寛順烈士受刑者記録表>
日帝は柳烈士の独立に対する意志を折るためにペンチで爪と足の爪を強制的に抜いただけでは
足りず残酷な性拷問まで醜悪な蛮行を止めなかった。そうするうちに次の年の1920年9月28日、
出獄に二日を残して柳烈士は花のように美しい18才の年齢で冷たい刑務所で祖国の独立を見る
こともなく短い命を終えてしまった。
柳寛順烈士は目をとじる前「私の爪が抜け私の耳と鼻が切られ私の足が折れても、その苦痛に勝
つことはできるが、国を失ったその苦痛だけは耐えられません。国に捧げる命がたった一つしかな
いことが、この少女の唯一の悲しみです」と遺言を残した。
冷たい刑務所の床で息をひきとる直前まで柳烈士の頭の中は、日帝に奪われた祖国の独立しか
なかったのだ。殉国後イテウォン共同墓地に安置された柳寛順烈士は日帝が軍用基地を作る過程
で行方が不明になり、95年流れた昨年9月に建った追悼碑だけがぽつんと残って席を守っている。
チャン・ヨンフン記者
ソース:インサイト(韓国語) ユ・クァンスン烈士が日帝から当てられた拷問と最後の遺言
http://www.insight.co.kr/newsRead.php?ArtNo=52321
引用元:http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1456811795
【日韓】 爪剥ぎから性拷問まで~97年前、柳寛順(ユ・グァンスン)烈士が日帝にされた拷問と遺言
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