- 1 名前:蚯蚓φ ★:2019/10/01(火) 16:05:59.64 ID:CAP_USER.net
「全南紡績」略して「チョンバン(全紡)」と呼ばれるこの企業は綿紡績業で服の材料になる糸を作っている。「全紡」の前身が、鐘淵紡績(カネガフチバンジョク)光州工場だ。名前から分かるように日本企業だ。日本化粧品ブランドで有名なカネボウの前身が鐘淵紡績だ。日本企業がルーツであるだけに「全紡」の創業者(キム・ムソン自由韓国党議員の父親)をめぐる親日論議も起きた。
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▲鐘淵紡績光州工場があった場所。太平洋戦争敗戦後、同社は日本に帰り米軍通訳官だったキム・ヒョンナムが1951年、600万ウォン余りで敵産として管理されていた全南紡織工場の払い下げを受けた。
太平洋戦争当時、日本は自国だけでなく韓半島にも作業場を置いて朝鮮人を強制動員した。鐘淵紡績が韓半島で運営した強制動員作業場数(確認されたところ)は何と31カ所だ。強制動員対象は男性だけではなかった。製鉄・製鋼・海運などの分野は主に男性を動員したが、紡績分野は女性が動員されることも多かった。
市民文化財団の地域文化交流湖南財団が運営する「光州歴史文化資源ストーリーテリング」サイトは光州広域市と関連した歴史を紹介する空間だ。こちらで簡単に日本戦犯企業の痕跡を探すことができる。
光州歴史文化資源によれば日帝強制占領期、鐘淵紡績は1929年、現在の光州の学童平和マンション一一帯で1万6932坪の工場を運営しながら従業員322人を置いて年間3万6000斤の生糸を作り、全南地域主要産業体の一つであった。その後、1935年鐘淵紡績は林業試験場と田畑があった光州林洞(イムドン)に工事費600万円を入れて10万坪敷地の紡績工場を設立した。
この紡績工場では2500人に達する女工らが自発的または強制動員されて仕事をしたが病気や事故で死んでいくことが多かったと伝えられる。
カネガフチの現在の姿は二種類の形態で記憶しなければならない。有名化粧品ブランド・カネボウ化粧品の日本ホームページを見れば創立を1887年と記載している。同年1887年を創立日としている別の会社もある。それは食品・製薬をしているクラシエ(Kracie)だ。現時点から見れば、戦犯企業カネガフチをそのまま受け継いだ企業はカネボウ化粧品ではなくクラシエだ。
カネガフチは2006年までがカネボウ化粧品を保有していたが2000年代に入って始まった経営実績悪化によって結局、日本屈指の化学企業花王グループにカネボウ化粧品を渡したからだ。しかし、カネボウ化粧品の現所属がカネガフチではなく花王だとしても、戦犯企業にルーツを置いている歴史まで消すことはできない。したがって戦犯企業カネガフチの現存企業はクラシとカネボウ化粧品の両方と見なければならない。
対日抗争期委員会が2016年発刊した委員会活動報告での被害者名簿には鐘淵紡績で強制動員にあった被害者5人の名前が確認される。被害者らは1941年から1945年、太平洋戦争終戦まで鐘淵紡績光州工場で労務者生活を強要された。被害者数が5人だけなのは強制動員の根拠が確保された場合だけ被害者と認められたからだ。
(後略:リーガル・コーポレーションも戦犯企業)
キム・ポラ記者
ソース:ビズウォッチ(韓国語)[戦犯企業ファクトチェック]⑧ガネボファジャンプム・リガルグドゥの根元
http://news.bizwatch.co.kr/article/policy/2019/09/26/0009
引用元:http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1569913559
【韓国】 戦犯企業・鐘淵紡績をルーツに持つカネボウ化粧品とクラシエはどちらも戦犯企業
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