- 1 名前:ピアノを弾く大酋長φ ★:2012/03/31(土) 07:33:45.07 ID:???
[ホ・ドンヒョンのモダンタイムズ] [3]独島領有権、すでに1946年に結果が生まれた
ホ・ドンヒョン慶煕(キョンヒ)大教授・歴史学
独島(トクト)は「近世以来日本の固有領土で、1905年島根県告示はこれを再確認しただけ」
というのが日本外務省の公式の立場だ。これは日帝が独島を奪い取る時に前に出した「持
ち主のない土地を先占した」という主張と正面対峙される。当初、日本内務省は独島編入に
反対した。その理由は「韓国領であるという疑問が生じている荒漠な一つの暗礁を得て、環
視する色々な外国に私たちが韓国併呑に野心があるという疑いを抱かせるのは利益がきわ
めて少ない」とのことだった。ところがなぜ日帝は突然独島領土編入を押し切ったのだろう
か? 1905年1月の旅順陥落以後、日帝が独島近海を露日戦争の勝敗を分ける最後の決戦
場としたためだった。2月22日に独島編入が一方的に公布され、5月28日に独島近海でロシ
アのバルチック艦隊は降伏した。
http://image.chosun.com/sitedata/image/201203/29/2012032902705_0.jpg
▲1954年10月、釜山(プサン)港で開かれた遠洋漁業出漁護船団式場。「平和線死守」という
スローガンが胸に迫る。「君と私でなければ誰が守るだろうか。」独島の険しい歴史が与える
教訓だ。
「暴力と貪欲によって略取したすべての地域で日本勢力を駆逐する。」1943年カイロ宣言のこの
ような精神は、独島が日本領土でないことを明文化した1946年1月29日付連合国最高司令部
(SCAPIN)指令第677号と、その年6月独島水域で日本の漁労活動を禁じる「マッカーサーライ
ン」公布で確認された。日本は1951年9月連合国と結んだサンフランシスコ講和条約の「日本は
済州島(チェジュド)・巨文島(コムンド)・鬱陵島(ウルルンド)を含むすべての権利・権原および
請求権をあきらめる」という文言に独島が明示されなかったとし、韓国領土ではないと主張する。
しかし、これは連合国が独島を母島・鬱陵島に付属した島嶼と見たためだ。
李承晩(イ・スンマン)大統領は1952年1月、独島が含まれた海洋主権線の「平和線」を宣言し、
4ヶ月後、日本の毎日新聞社が外務省の諮問を受けて出したサンフランシスコ講和条約解説書
にのせられた「領域図」は独島を韓国領と明記した。その年の9月、クラーク国連軍司令官が韓
半島周辺に設定した海上防衛水域(クラークライン)もやはり独島を含んだ。その時、国際社会
はもちろん、日本自身も独島が韓国領土という点を認めたのだ。今、日本の独島領有権主張は
自己矛盾の愚を犯す。
ソース:朝鮮日報(韓国語) 入力:2012.03.29 22:34
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2012/03/29/2012032902928.html
関連スレ
【竹島問題】 日本の古地図にも「独島は韓国領土」立証~東北アジア財団、資料多数公開[03/28]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1332944148/
独島領有権、すでに1946年に結果が生まれた~今、日本の領有権主張は自己矛盾の愚を犯す
-
- カテゴリ:
- 竹島